top of page

柳生心眼流の系譜及び歴史

遠山国男師範に至るまでの柳生心眼流の系譜及び歴史を紹介します。

004_edited.jpg

柳生心眼流系統略図

 

竹永隼人

吉川市郎右衛門

伊藤久三郎

小山左門

                相沢仲之進 千葉義祐 佐竹森之助 加藤権蔵 

                 ┣━━━━━┻━━━━┻━━━━━┛

星貞吉

高橋彦吉

鈴木兵吉

斎田茂七

安部陸男

武田軍虎

遠山国男

歴代先師略歴

 

竹永隼人

江戸時代初め仙台の出身。

神道流を出羽帯刀、神影流を江州理釼、首座流を荒川治郎左衛門、戸田流を清元入道、柳生新陰流を柳生但馬守から学び、柳生心眼流を創始したと伝えられている。

後に中津山に居を構え教授したと伝わる。同所近辺には国境の警備のため仙台藩直参足軽が置かれており、当流を習い修める者は多数に及んだ。

 

吉川市郎右衛門

大番士であった吉川市郎右衛門は、心眼流の伝承者として天明・寛政年間に門人を教導していた。

 

伊藤久三郎

天歴七年(1757年)四月、伊藤久三郎が小山左門と佐藤善橘の両人に伝書を与えた。

この伝書の但し書きの中に、これを与えた理由として「両人は遠藤繁四郎の門弟であるが、遠藤繁四郎は今江戸勤番で留守中のため伊藤久三郎から奥儀を伝授した」とある。

伊藤久三郎は遠藤繁四郎と共に小船越の直参足軽の出で、両人は同門の間柄であり、また小山左門は遠藤繁四郎と伊藤久三郎の両名から学んだと伝わっている。

 

小山左門

享保三年(1718年)-寛政十二年(1800年)小船越の仙台藩直参足軽の出身。

はじめ遠藤繁四郎の門弟であったが、伊藤久三郎に学んで同人から奥儀の伝授を許されている。その後、諸国に修行して技を磨き、後に江戸浅草に道場を開いて十八年間門弟に指南したと伝わる。

 

相沢仲之進

安永六年(1777年)-天保(1837年)京都出身。

小船越に退隠した師の小山左門に近侍して奥儀を伝授されている。

 

千葉義祐

星貞吉の伝えた「兵法伝書」には、相沢仲之進の次に名が記されている。

 

加藤権蔵

出羽の人と伝わる。柔術・拳法の宗師として聞こえていたと伝わる。


星貞吉

文政四年(1821年)-明治三十一年(1898年)新田の出身。星清左衛門の次男。

はじめ農隙に相沢仲之進に従い拳法を修める。更に究めるため宗師として聞こえた加藤権蔵に師事する。他に千葉義祐、佐竹森之助、相沢勇三郎、佐竹勇三郎、加藤善兵衛、高橋義輔なども星貞吉の先師として挙げられている。

 

高橋彦吉

弘化三年(1846年)-明治三十四年(1901年)新田の出身。星清十郎の次男。

兄の星清右衛門と共に星貞吉の門に入り指南を受けたのち奥儀を許された。

 

鈴木兵吉

天保十年(1839年)-大正七年(1918年)栗原の出身。

高橋彦吉に入門してのち奥儀を許された。

柳生心眼流の形「素振り二十八手」に付随して「身ごなし四十八手」を纏めた。

 

斎田茂七

明治二十三年(1890年)-昭和二十五年(1950年)南郷の出身。

鈴木兵吉に入門してのち奥儀を許された。

鈴木兵吉を自宅に招き住まわせ、家業の合間に指南を受ける。

 

安部陸男

南郷の出身。斎田茂七に入門してのち奥儀を許された。

斎田茂七とは縁戚関係。鹿島台にて整骨院を営む。

 

武田軍虎

大正2年(1913年)-平成9年(1997年)南郷の出身。

安部陸男に入門してのち奥儀を許された。

安部陸男とは縁戚関係。

鹿島台へ移住し、同地で門弟に指南する。

昭和54年、遠山国男に皆伝を与える。

 

遠山国男

昭和24年、武田軍虎師範に入門する。

昭和44年、武田軍虎より指南免許を受け、師範代として指導を始める。

昭和54年、武田軍虎より皆伝を受ける。

その後、更に10年の研鑽を重ね平成に入ってから門下生を受け入れ、次世代に伝えている。

bottom of page