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柳生心眼流の系譜

柳生心眼流は、約400年前に竹永隼人が創始した武術の流儀です。

発祥の地は現在の宮城県登米市になり、この地より江戸時代を通して全国に広まりました。

次に紹介するのは​柳生心眼流兵術慧陽館加藤道場の系譜です。

当道場の系譜

柳生心眼流系統略図

竹永隼人

吉川市郎右衛門

伊藤久三郎

小山左門

                                                           相沢仲之進 千葉義祐 佐竹森之助 加藤権蔵 

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星貞吉

高橋彦吉

鈴木兵吉

斎田茂七

安部陸男

武田軍虎

遠山国男

​加藤謙信

歴代の略歴

歴代の継承者についての略歴を抜粋で掲載。

竹永隼人

江戸時代初め仙台の出身。

神道流を出羽帯刀、神影流を江州理釼、首座流を荒川治郎左衛門、戸田流を清元入道、柳生新陰流を柳生但馬守から学び、柳生心眼流を創始したと伝えられている。

後に中津山に居を構え教授したと伝わる。同所近辺には国境の警備のため仙台藩直参足軽が置かれており、当流を習い修める者は多数に及んだ。

小山左門

享保三年(1718年)-寛政十二年(1800年)

小船越の仙台藩直参足軽の出身。

はじめ遠藤繁四郎の門弟であったが、伊藤久三郎に学んで同人から奥儀の伝授を許されている。その後、諸国に修行して技を磨き、後に江戸浅草に道場を開いて十八年間門弟に指南したと伝わる。

​星貞吉

文政四年(1821年)-明治三十一年(1898年)

新田の出身。星清左衛門の次男。

はじめ農隙に相沢仲之進に従い拳法を修める。更に究めるため宗師として聞こえた加藤権蔵に師事する。他に千葉義祐、佐竹森之助、相沢勇三郎、佐竹勇三郎、加藤善兵衛、高橋義輔なども星貞吉の先師として挙げられている。

鈴木兵吉
 

天保十年(1839年)-大正七年(1918年)

栗原の出身。

高橋彦吉に入門してのち奥儀を許された。

柳生心眼流の形「素振り二十八手」に付随して「身ごなし四十八手」を纏めた。

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